Top

history

広島RCの誕生

1932年(昭和7年)

広島ロータリークラブは、大阪ロータリークラブをスポンサーとして1932年(昭和7年)2月6日、広島市舟入町の羽田別荘で創立総会を開いた。

ポール・ハリスがその友人らとアメリカ合衆国シカゴで「奉仕の理想」を掲げ、ロータリークラブを創始したのは1905年。米山梅吉が有志らと東京に日本初のロータリークラブを設立(世界855 番目)したのは1920年(大正9年)である。

広島ロータリークラブは、1932年6月 22日、国際ロータリーの加盟認証を受けた。登録番号3524。東京、大阪、名古屋、神戸、京都、横浜に次いで国内7番目のクラブとして誕生した。

創立総会は、初め前年の1931年12月24 日に予定されていた。しかし、そのころ広島県知事の異動があり、当日がその送別会と重なるため翌春2月6日に延期となった。大阪ロータリークラブへの総会日決定の案内状には、創立委員として井原外助、堀田笎三、倉田信太郎、塩川三四郎、鈴川貫一の名がある。

広島にもロータリークラブを設立しようという話は4、5年前からあり、広島電気株式会社取締役社長だった井原外助を中心として、その動きは次第に活発となっていたが、チャーターメンバーの選出には、大変な努力を要したようである。

鈴川貫一創立委員は「・・・数年前よりクラブ組織の議起りたれど、主旨不徹底のため実現せざりし処、昨年井原氏の唱導に、堀田、倉田、塩川、鈴川の4氏が共鳴し、夫々分担して先輩知友を誘い・・・初めは賛成者の数も少なく、クラブ組織の最小限たる15名の会員を得るに困難し・・・大阪、京都クラブ会員の著書、プリント等に依り、主旨を解せらるるにつれて賛成者増加し、遂に30名の予定会員を得るに至り・・・」と苦心談を記述している。

設立当時の懇親会
設立当時の懇親会
設立総会当時の会員
設立総会当時の会員

設立総会は、チャーターメンバー30名。来賓として大阪クラブから5名、京都クラブから9 名、神戸クラブから4名、横浜クラブから1名を迎え、井坂孝ガバナーが急病のため星野行則代理、伊藤貞次広島市長も出席した。

星野行則ガバナー代理の祝辞と訓示、伊藤貞次広島市長、田崎慎治(神戸クラブ)、野村洋三(横浜クラブ)、村田省蔵(大阪クラブ)各氏の来賓祝辞があり、井坂孝ガバナーはじめ東京、横浜、神戸等の各クラブからの祝電が披露された。さらに大阪クラブから時計、京都クラブからSAA腕章その他の土産物を贈られた。

第2部の懇親会も盛大であった。余興やニックネームの披露など、ロータリアンの友愛の宴は11時まで続いた。当夜の庭前に仕掛けた花火も好評。大阪クラブの会報「大阪ロータリアン」(1932年2 月22日付第421号)に言う。「見事ナ情景ガ展開サレル。爆音山二反響シテ甚ダシ ク爽快。最後ニ煌々タル花火二照シ出サ レタルハ 広島ロータリークラブ萬歳 ノ一大旒。喝采ハ暫シ鳴リモ止ヤマヌ」と記載されている。

この年、広島市の人口294,100人、世帯数73,607。