1949年(昭和24年)
広島ロータリークラブは、1949年8月2日(昭和24年)大阪ロータリークラブをスポンサーとして、広島商工会議所で創立総会を開き仮クラブを結成した。国際ロータリーへの加盟申請は8月25日付で正式承認(認証番号は昭和7年2月6日設立の通り3524号) された。
東京、大阪、京都、神戸、名古屋、札幌、福岡の7クラブは、すでに4月に復活していた。かねて黒川巖は、東京の日本工業クラブで開かれたロータリー復活協議会(小松隆会長)に出席するなど、再興の機会を待っていたので5月12日に火曜会を解散、黒川巖、多山恒次郎、田中好一、松田重次郎、藤井徳兵衛、横山周一の6名が委員となりロータリー復帰準備に着手した。こうして、3カ月後に悲願の広島ロータリークラブ復活が成った。
総会の席上、黒川巖会長は感懐を込めて次のように挨拶している。
「ただいま全部の方(火曜会員)がこぞって会員となられることができないとは、はなはだ遺憾にたえないところであります。・・・敗戦日本、しかも未だ講和条約さえも締結されざる日本において、国際的に認められ、その仲間入りを許されたるものに我がロータリーがあるのであります。・・・今日原爆の地、広島において原爆の日を数日の後に控え、なお平和都市広島としての面目を目睫の間に望みて、同じく国際平和、人類の福祉をもってその主要目的とする国際ロータリーの、まさに復活されんとすることは、殊に我々にとり極めて意義深いものがあると思うのであります」
この年、8月6日に広島平和記念都市建設法が公布された。