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発祥

国際ロータリーの発祥

1905年、シカゴという殺伐とした時代背景の中から、ロ-タリーは誕生しました。

シカゴで弁護士を開業した36歳の青年、ポール・ハリスがロ-タリ-クラブを作ることを思いついたのは、罪悪と腐敗の街に住みながら、その街の中に、彼が少年時代を過ごしたニューイングランドの村で感じた安らぎを取り戻そうとする、ささやかな実験でもあったのです。

[一人一業種制]と[定例の会合]を原則にした職業人の親睦団体として、ロ-タリ-クラブは発足しました。

1905年2月23日木曜日ポ-ル・ハリスは、ロータリークラブ結成の構想を具体的に説明しました。ロータリークラブ設立のための初の会合が開かれたのです。この日の会合では、「一人一業種で親睦を深める会を作る」という設立の主旨が熱っぽく語り合われ、クラブには実業人だけではなく法律家、医師、宗教家と、あらゆる職業の人を集めることになりました。

1905年3月9日開かれた二回目の会合では、再びクラブの主旨と可能性が討議されました。事業の経営者、共同経営者、または会社役員でなければ会員になれないことが決められ、更に、今後の会合の持ち方についても議論が闘わされました。

3回目の会合は、3月23日シルベスター・シールの事務所で開催され、ポールの指名によって初代会長にシルベスター・シールが就任しました。この日の会合で、新クラブの名称が検討され、ローテーションを取り決めて、会合を開いていることから、「ロータリークラブ」と名付けられました。

日本ロータリーの発祥

米山梅吉にロータリーの存在を伝えたのは、三井物産の現地法人 Southern Products 社の支配人として、既にダラス・クラブの会員であった福島喜三次(きさじ)です。1920年 1月に帰国した福島は、アルバート・アダムスAlbert Adams国際ロータリークラブ連合会会長から、年度内に日本にロータリークラブを設立することを条件に、特別代表の任命を受け、米山梅吉と共に奔走しますが、年度末までに、創立に必要なチャーター・メンバーの数を集めることができず、期限切れとなってしまいました。エスタス・スネデコルEstes Snedecor 連合会新会長は、直ちにパシフィック郵船横浜支店長ジョンストンW.L.Johnstonを共同代表に任命して拡大の協力を命じました。1920年9月1日に設立準備会が開かれ、同年10月20日、チャーターメンバー25名が集まって、銀行クラブで創立総会が開催され、東京クラブが誕生しました。なお、RIから正式に認証されたのは1921年4月1日になってからです。

(Rotary Japan Web参照)